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国名

タイ王国(Kingdom of Thailand)。

首都

 通称はバンコク(Bangkok)。首都圏面積は 1,565 平方km(東京都のほぼ 4 分の 3 )。行政上の公称は“グルンテープ・マハーナコーン”。一般的には「グルンテープ(天使の都)」と呼ばれている。

元首

 ラマ9世国王(プミポンアドゥンヤデート)。1946 年 6 月 10 日に即位。憲法に、国王は神聖不可侵の元首であり、国軍を統帥する立場にあるほか、仏教の擁護者である旨が規定されている。

国旗

赤(国民)、白(仏教)、青(王室)の3色旗。

地理

 インドシナ半島のほぼ中央、北緯 +13.75 度、東経 +100.52 度に位置し、西と北にミャンマー、北東にラオス、東にカンボジア、南にマレーシアと国境を接している。国土の大半を平野部が占めており、農地面積は国土の 40 %。全国 76 県。

気候

 熱帯性気候暑季(3月~5月)、雨季(6月~10月)、寒季(11月~2月)の3シーズンに分かれるが、これはあくまでバンコクを中心としたタイ中部での気候になる。国土が南北に長いため、地域によって微妙に季節のずれや温度の違いがある。

面積

513,115 平方キロメートルで日本の約 1.4 倍。フランスとほぼ同じ大きさ。

人口

6346 万人(2002年現在)。首都バンコクの人口は約 800 万人。

民族

 多民族国家で、主にタイ族( 85 %)、中華系( 10 %)、マレー系、インド系、カンボジア系を中心に様々な民族で構成される。民族同士の混血がかなり進んでいる。

公用言語

 タイ語。タイ文字は、13 世紀末にカンボジアのクメール文字に範をとって作られた表音文字である。現在のタイ文字は 42 の子音文字と 32 の母音文字があり、これらを組み合わせて音節を作り、5種類の声調により発音される。

年号

仏暦を使用。西暦に 543 年を加えると仏暦になる。西暦 2005 年は仏暦 2548 年。

時差

日本より2時間遅れ。日本が10時なら、タイは8時。

宗教

 国教は上座部仏教(小乗仏教)。国民の9割以上が仏教を信仰している(タイ全国の仏教寺院数は約3万カ所、僧侶は約 29 万人)。他にイスラム教、キリスト教、ヒンドゥー教、シーク教、山岳民族固有の宗教もある。憲法により信仰の自由は保障される。

歴史

 現在のタイ国の地にタイ族の国家が形成されたのは、13 世紀ごろのことになる。それ以前には、モン人の国ドラバラディ、マレー人の国シュリービジャヤ、クメール人の国クメール(カンボジア)があった。クメールはカンボジアのアンコールを首都として、タイ東北部はもとより、タイ全土をも支配していた。クメールの勢力が弱まってきた3世紀頃、中国東南部より千年以上の年月をかけて南下を続け、11 世紀頃にはタイ各地に都市国家を形成し始めていたタイ族が統一国家を形成した。それがスコータイ王朝の始まりである。しかし、内政、文化面で多くの実績を上げたラムカムヘーン王の没後は、王朝は急速に力を失い、後のアユタヤ王朝に吸収されてしまう。
 アユタヤ王朝は約 400 年続くが、16 世紀中頃からはビルマ(現ミャンマー)と戦い、一時は属領となってしまう。だが、17 世紀初頭にナレースワン大王が出現し、失地回復を果たし、中央集権制度を確立。また、国際商業都市として、中国、インド、西欧と交易し、日本も朱印船貿易で鹿皮、鯨皮などを輸入した。しかし、侵攻してきたビルマによって 14 カ月間包囲された後、1767 年 4 月 7 日の総攻撃で一夜にして破壊され、滅亡の一途をたどる。アユタヤ王朝滅亡後、多数の政治権力が分立する中から、アユタヤの将軍タークシンが挙兵し、ビルマ軍を追い、トンブリーに新都を定めた。しかし、戦いに明け暮れた 15 年の治世の末、精神に異常をきたし、1782 年将軍チャクリーのクーデターに倒れる。
 チャクリー王朝の始祖ラマ1世が首都をバンコクに移して、バンコク王朝(ラタナコーシン王朝)とも呼ばれている。タイ王朝3大王の1人、チュラロンコーン大王(ラマ 5 世)は、タイの近代化に貢献した名君として知られている。司法、行政制度を整備し、財政を整え、郵便通新事業、鉄道、教育制度、さらに軍制改革、奴隷制度廃止など、近代国家としての基礎を作り、絶対君主制を確立した。
参考
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