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タイ経済は、1960 ~ 1996 年までで年平均 7.6 %のペースで成長を続けた。特に、製造業は 1980 年代前半の一時期を除くと、年平均 10 %を上回る成長を続け、経済を牽引した。しかし、1996 年に入って輸出が低迷。また経常収支赤字の拡大や、不動産を中心としたミニバブルの崩壊などにより、1997 年 5 月には投機筋のバーツ売り圧力が強まり、7月にはタイ通貨危機が発生した(この通貨危機は ASEAN 諸国に波及し、GDP 成長率が前年を大きく下回る原因となった)。これによって内需が大幅に縮小したことで、経済はマイナス成長に陥り、1990 年代を通じた平均成長率は約4%にとどまった。1997 年 7 月に政府は為替管理制度を通貨バスケット制から管理フロート制に移行。さらに 8 月には、IMF 融資 172 億ドル(実際に実行された融資総額は約 147 億ドル)の受入条件を受諾し、抜本的な経済構造改革に着手した。 その後、1998 年第4四半期から 1999 年初めにかけて底打ちしたのちに緩やかに回復し、1999 年通年の実質 GDP 成長率は 4.2 %増と、年初の見通しの 1.0 %増を上回ったが、1998 年に入ると、緊縮政策による内需低迷、金融機関の貸し渋り、高金利などによって実体経済の悪化が顕著となり、その年の GDP 成長率はマイナス 10.4 %と大幅に減少した。 1999 年 8 月には、民間投資促進や経済構造改善を柱とする、一層前向きの政策を打ち出した。その内容は、民間企業の経営改善のための基金、新規投資基金の創設、中小企業対策として構造改善基金の創設、中小企業金融の改善、中小企業診断士制度、財務相談所の創設のほか、関税の引き下げ、特別減価償却制度の発足、不動産業の景気浮揚対策を含んでいた。この対策は、タイ経済の弱点であった構造的な問題に対処する意欲的、かつ長期的な経済構造改善につながるものであったため、1999 年からの経済はプラス成長に転じ、2002 年は好調な国内需要などにより 5.3% 成長まで回復した。 2003 年に入り、1997 年の通貨危機の際に IMF から借り入れた債務を、 7 月末で 2 年前倒して完済。この年は、イラク戦争やSARSの影響にもかかわらず、堅調な国内需要に引っ張られて好調な状況が続き、通年の実質 GDP 成長率は 6.7 %となった。世界経済の回復による輸出増加、低金利による個人消費や投資の拡大などが高成長を支えたといえる。 NESDB(国家経済社会開発庁)は、2004 年の経済見通しについて、鳥インフルエンザや米国によるタイ産エビへのアンチダンピング、南部の治安悪化などリスク要因はあるものの、個人消費や民間投資が引き続き堅調に推移すると見込まれることから、7.0 ~ 8.0 %成長を予測している。 2004 年 11 月に開催されたアジア太平洋サミットの席で、タクシン首相は、2005 年の見通しについては先行き不透明と認識しているが、自らが掲げるバランスの取れた戦略はタイにかなりの成長をもたらすことになると確信していると述べた。ボトルネックを回避し、既存の経済システムの生産性を高めるために公的インフラへの投資を増やし、それによってより大規模かつより生産的な民間投資を呼び込む上で、おおいに資するような環境作りを目指すことになる。また、今後も多角化を通じて、タイ経済を観光やヘルスケアといったサービスセクターへ先導したい考えのようである。
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